タイ古式マッサージの歴史

 

 

タイ古式マッサージは、タイ語で「ヌアッド ・ペン・ボラーン」と言います。 ・ヌアッドペンボラーン」と言います。
ヌアットはマッサージという意味で、スタイルや方式という意味の「ペン」、古い、伝統と言う意味の「ボラーン」が合わせられ「ヌアッド・ペンボラーン」となります。
タイ古式マッサージは、2500年以上も前から伝わる伝統的なマッサージです。
その起源は仏陀の習慣の創設者、Shivago Komarpaj神父にたどることができます。
彼はインドの医師でタイに仏教とともに医学を伝え、タイ古式マッサージの原本は、古代の仏教の神聖なpali言語で記録されました。
その後、中国の漢方医学が加わり、タイ人の経験医学が重なりタイ伝統医学やタイ古式マッサージの基礎が確立されました。
スコータイ王朝時代1686年頃)の頃にはタイ古式マッサージ処方の大凡が体系化されたようです。
しかし、アユタヤ王朝時代には、度重なるビルマ軍の侵略ににより首都アユタヤが攻撃を受け1776年にアユタヤ王朝が崩壊された際、
後に1836年ラマ3世王がバンコクのワットポー寺院の大改修を行った際、教育施設をつくらせました。
そして残っている学術書を集めて伝統的な知識をpali言語から現代語に翻訳させ、マッサージの姿勢や「※セン(エナジーライン)」なども誰でも自由に勉強できるように石碑文に彫らせました。
「セン」を示す図が60枚、「セン」を刺激するポーズをとった隠者の絵が80枚、又診察と薬草の調合法についての文章が1100種類記されてます。

ビルマ人によりマッサージのテクニックに関する医学のテキストの大部分が破壊されました。

 

 

   

タイ古式マッサージは、当初王室や寺を中心に僧侶から弟子へと継承されていましたが、ワットポーで公開されたことで広く大衆に浸透し始めました。
1906年ラマ4世王は、さらに生き残っている学術書および古代のマッサージに関する全ての記録を集めさせ古代語から現在のタイの言語に翻訳を命じました。
ラマ5世王の時代には、王室専用医師により、王室医学書の中で王室マッサージ法も一冊の本にまとめられました。
1962年には「ワットポー・タイトラディショナル・メディカルスクール」が設立され、タイ古式マッサージを教えています。

 
   

 

 

 

 

 
   

タイ古式マッサージ総本山(ワットポー)

 
 
 

今日では、タイの至る所で色んなスタイルのタイ古式マッサージに出会うことが出来ます。
チェンマイを中心に盛んに行われているチェンマイスタイル(当店ではこう呼んでいます)は、その代表格です。
チェンマイスタイルはワットポースタイルと比べマッサージのスタイルがちょっと違いますが、「※セン」の取り方などは、基本的に同じです。
揉みほぐし系の技法が多いワットポースタイルに比べ、ストレッチ系の技法が多いのがチェンマイスタイルの特徴といえます。
その他に、「ヌアッド・ペンタイ」や数種のスタイルのマッサージがタイ古式マッサージとして行われております。

“タイマッサージ”
それは、長い歴史によって育まれた人の知恵の結晶です!

 

タイマッサージ師として、4つの心得.

 

釈迦の教えである四つの心

 

「慈 悲 喜 捨」

 

仏教の教えである「四無量心」 これは、慈悲喜捨とも言われます。

・慈=人に幸福を与えようとする心、深い思いやりの心。

・悲=人の悲しみや苦しみを取り除こうとする心。

・喜=人の幸せを祝福する心、他人の喜びを自分のことのように喜べる心。

 

・捨=人を差別することなく、恨みや恩を捨て、平等にみる心。